2017.2.28
1967年の夏、モンタレー・ポップフェスティバルにおいて、あるギタリストが伝説的なライブをしました。そのギタリストこそがJimi Hendrixでありその後のロック史に名を残す人物です。
ジミ・ヘンドリックスは、1966年にアメリカから渡英しました。アニマルズのベーシスト、Chas Chandlerにスカウトされたからです。ジミ・ヘンドリックスは、Noel Redding(ベース)、Mitch Mitchell(ドラムス)とThe Jimi Hendrix Experienceを結成し、クラブで演奏を始めました。
当時のイギリスは、ブルーズ・リヴァイバルの最中でした。ローリング・ストーンズや、ヤードバーズなどのブルースに影響を受けたバンドが活動していました。ブルースの本場、アメリカから来た黒人ミュージシャンのジミ・ヘンドリックス(通称ジミヘン)を受け入れる素地があったのです。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは3ピースです。ジミヘンの他には、ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルしかいません。メインボーカルもジミが担当し、1人でギターを演奏しています。3ピースで同時期に有名なのはクリームですが、ギターのクラプトンよりベースのジャック・ブルースがメイン・ボーカルを務める回数が多かったです。
ストーンズやビートルズのように4人編成のバンドだとサイドギターとリードギター、2人のギタリストがいます。ジミヘンはリードやオブリガード(裏メロもしくは短い間奏)と、バッキングギターを1人で担当し、ボーカルまでこなしていました。
ジミが独特なのは、ギターを歯で弾いたり、背面で弾くパフォーマンスだけではありません。ギターアンプとギターでハウリング(共鳴)を意図的に起こすフィードバック奏法や、ジミヘンコード(E7♯9)をロックに導入しました。
左利きなのに、右用のフェンダー・ストラトキャスターを弾き倒すスタイルや、ワウペダルやファズフェイスといったエフェクターを真っ先に使用するなど、ロックにおける革新的なギタープレイの先駆者でした。
1967年、イギリスでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのファーストアルバムAre You Experiencedが発表されました。イギリスで、ビートルズのアルバムSgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Bandの1位に次ぐ2位のセールスをあげました。
その夏、ジミはアメリカに凱旋します。モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演するためです。モンタレーに強く推薦したのはビートルズのポール・マッカートニーだったようです。全米が注目するフェスティバルでジミは伝説となったパフォーマンスをします。
きっかけは、ザ・フーでした。先に演奏したほうがインパクトがあると考えたザ・フーは、演奏順でジミと揉めました。結局先に演奏したのは、フーでしたが、ドラムセットまで壊す派手な演出のため、ジミは対抗してギターを燃やしました。
このライブは、ジミのキャリアの中でも出色の出来でした。モンタレーの演奏は、ジミをアメリカ本国でもスターダムな存在にしたのです。
その後のジミの活躍は目覚ましいものだった。1967年には2枚目のアルバム、Axis:Bold As Loveを発売し、翌1968年には名盤Elctric Ladylandをリリースしました。しかし、ノエル・レディングがバンドから脱退し、エクスペリエンスとしての活動はここで終わります。
ジミは、残ったミッチ・ミッチェルに友人のビリー・コックスを加えた編成で1969年ウッドストックに出演します。このウッドストックはロックフェスティバルの代名詞ともいえるフェスティバルで、観客は40万人も集まったようです。
黒人ばかりのバンド・オブ・ジプシーズで活動後、再びミッチ・ミッチェルと組んだジミはワイト島のフェスティバルに出演しました。そして1970年の9月18日、睡眠中に27歳という若さで亡くなりました。この死は不可解なもので、様々な噂が飛び交いましたが、嘔吐によって窒息したのが死因のようです。
今でも、ジミ・ヘンドリックスは影響を与えています。ジミの奏法は、コピーされ様々なギタリストが発展させました。しかし、ジミのようにギター奏法を格段に進歩させるのは容易ではありません。ロックで偉大なギタリストいえば、やはりジミ・ヘンドリックスなのです。
直訳すると「君は俺が見えてる?」というタイトルの曲です。勢いのあるリフから始まる、この曲はファーストアルバムのAre You Experiencedに収録されています。ジミヘンの中でもノリのいいナンバーなので、ライブでよく演奏されていました。
ギターのオブリは短いですが、印象的なアクセントをつけています。ストラトならではの、切れ味のあるトーンです。一番のおすすめは、ライブ盤のLive at Montereyでの演奏です。モンタレーポップフェスティバル(1967年)で6曲目に演奏し、当時のオーディエンスの度肝を抜いたパフォーマンスをしました。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス名義のセカンド・アルバムAxis Bold as Loveに収録されているナンバーです。曲調は、泣きのギターにふさわしいバラード調ですが、後半のロータリーサウンドから一転し、激しいリードが展開します。
アルバムのタイトルロールからも解るように出色の出来だと思います。アクシズ・ボールド・アズ・ラブには、エリック・クラプトンがデレク・アンド・ドミノス時代にカバーしたLittle Wingも収録されていて、ジミのアルバムの中でも短めの曲が多いです。
”But they ‘re all as bold as love’ 直訳するなら「俺たちは皆、愛から生まれた」です。この曲はアルバムを普遍的且つ、感動的なテーマで締めくくっています。
セクシーではなくフォクシーです!これもジミ・ヘンドリックスの代表曲の一つですね。ファースト・アルバム、アー・ユー・エクスペリエンスドの1曲目に収録されているナンバーです。男を魅了する女に対しての情熱を、シャウトしています。1970年のワイト島フェスティバルでも演奏されていました。晩年(27歳)でもライブのナンバーに加えるほど、定番だったのでしょう。1969年のウッドストックでも演奏されています。
ライブの度にリードギターが変わり、曲も長くなっていきます。60年代後期には、オールマン・ブラザーズ・バンドのようにインプロビゼーション(即興演奏)を展開するバンドが増えていました。
名盤Electric Ladyland(1968年)に収録されていて、代表曲の一つです。エクスペリエンス名義の最後のアルバムで、ジミが生前に発表したスタジオアルバムはこれがラストになります。マネージャーのチャス・チャンドラーと、ベーシストのノエル・レディングが離脱したのもこのアルバムの時期です。
4曲目にも同じブードゥ・チャイルが収録されていますが、こちらはブルーズ調で曲が長く(15分)セッションをそのまま録ったような雰囲気です。スライト・リターン(軽く戻る)とはビートルズのアルバムSGTでもやっていることを捩ったのではないでしょうか。SGTはジミがライブで演奏したことのある曲です。
ブードゥ・チャイルド(スライト・リターン)は、ワウを多用したイントロが有名です。この曲は1968年以降のライブでよく演奏しています。1969年のウッドストックではトリを務めたジミが、この曲を演奏しているシーンが印象的でした。
ジミヘンといえば、この曲パープルヘイズです。イントロはCMで使われることも多いので、耳に入る機会の多いナンバーです。紫の煙とはハッパを炊いた煙=ドラッグという隠語です。この曲は当時のイギリスでよくあったようにシングルカットされ、Are You Experiencedには収録されていません(現在出ているバージョンには収録)。
この曲で有名なのがジミヘンコードです。E7#9というコードをロックで初めて使用したのが、おそらくジミヘンでしょう。E7のテンションコードの一種なのですが、♭3度の音(#9)を混ぜているので、独特の響きがあるカラフルなコードです。
ジミヘンコードの独特な響きに、印象的なイントロ、この2つの要素は革新的でした。掛け値なしの名曲ですので、ぜひ聴いてみてください。
今日は以上です。
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よっしー(田中義一)
1985年千葉生まれ。バーストのブログを書いている人。デザインも少々。これまで1,000を超えるバンドにデザインを提供してきました。基本サッカー見ながらパソコンいじってる。外出時はパソコンいじれなくてソワソワして落ち着かない。
性格⇒ポジティブだけど打たれ弱い。超リアリスト。
好きなもの⇒ハンバーガー、サッカー観戦、熱帯魚