2017.11.8
日本におけるベースギターの発展や変革をもたらした方々を紹介し、ベースの素晴らしさをお伝えするベーシスト列伝。今回は現在、日本の中でもベース界の重鎮ともいえるお方「細野晴臣(ほそのはるおみ)」さんです。日本語ロックの開祖とよばれる「はっぴぃえんど」、「テクノ」という音楽を世界的なブームメントにした「YMO」など多くのバンドに所属し、そのたびに素晴らしい音楽を作り続けている「細野」さんの生い立ちから現在までをご紹介していきましょう。
まずは「細野」さんの経歴についてご説明いたしましょう。1947年東京都は港区で生を受けました。幼いころから「ポピュラー音楽」(日本で言うところの「ポップス」)をよく聞いていたそうです。
思春期を迎えたことには「ロック音楽」に目覚め、ギターを手に取ります。そしてフォークの時代が音連れ、高校生であった「細野」少年もボーカルとギターでフォークをかき鳴らす日々が続くのでした。
大学に進学後、様々なバンドに所属し、その腕を磨いていきます。そして1969年に「ザ・フローラル」というバンドに加入し、名称を変更。「エイプリル・フール」というバンドとなってメジャーデビューするのであった。
その後、音楽的な意見の相違からバンドは解散。同じバンドであったドラムの「松本零」(のちの作詞家「松本隆」)と手を組み、ボーカルの「大瀧詠一」、ギターの「鈴木茂」と共に「日本語ロック」の基礎を作ったといわれるバンド「はっぴぃえんど」を結成するのであった。
しかしその伝説的なバンドも2年ほどの短命で終わってしまいます。その後はプロデュース業を中心として活動し始め、そのために「松任谷正隆」らと一緒に「キャラメル・ママ」(のちの「ティン・パン・アレー」)を立ち上げます。
それとは別にソロプロジェクトも展開。「トロピカル三部作」など南国志向にアプローチし、日本にはなかった世界観を表現しました。そしてシンセサイザー音楽が誕生したことにより新しいバンドの構想が浮かび、1978年に元サディスティック・ミカ・バンドの「高橋幸宏」とスタジオ・ミュージシャンであった
「坂本龍一」とイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成。このバンドの結成により「テクノ」と呼ばれる音楽が大流行。日本のみならず世界的な人気を誇るバンドへと成長していきました。
しかし人気絶頂であった1983年に「Y.M.O.」を散開(解散)させ、その後はワールドミュージックやアンビエントミュージックを中心に楽曲作成を続け、「忌野清志郎」や「坂本冬美」との「HIS」や「高橋幸宏」との「スケッチ・ショウ」、「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」などのバンド、ユニットを結成。2017年で70歳を迎えた今でも精力的にその活動を続けている。
実は「細野晴臣」さんの家族には逸話があります。それは祖父に当たる鉄道官僚であった「細野正文」がなんと日本人で唯一、映画化もされた豪華客船「タイタニック号」に乗船していたというお話です。事故からも生還した数少ない方になります。実際のところは、この生還というところは社会的な評価は悪く、あまりお話にはなりませんが、幾度かその内容について答えたインタビューなどが残っているようです。「細野晴臣」さん自身は沈没まで演奏を続けた8人の音楽家の事が気になっていたとコメントを残しているようです。
【高音質】はっぴいえんど 風をあつめて
「細野晴臣」さんが「はっぴいえんど」時代に制作した名曲が『風をあつめて』です。本人曰く、メロディーも実際考えていたものと違う部分があり、ギターを弾きながら作った曲であり、ベースとボーカルは別録りでしてしまったためにベースを弾きながらではうまく歌うことができないという逸話付きです。
日本語ロックの開祖と呼ばれるバンドだけあり、日本語の温かさと柔らかさを感じる名曲です。
君に胸キュン
「Y.M.O.」として「オリコンチャート」や「ザ・ベストテン」などのランキングで1位を取るために制作した楽曲。「Y.M.O.」基本テクノミュージックである為生のベースが入ってくることは少ないが、ダンスミュージックにおいての肝はやはりベースライン。そこは「細野晴臣イズム」が光るところである。結局ランキングにおいては「オリコンチャート」では最高位2位、「ザ・ベストテン」では最高位3位という結果であった。その理由としては「細野晴臣」さん自身が楽曲を提供した「松田聖子」さんの『天国のキッス』によって阻まれてしまったからであった。自分の楽曲によって目標が達成できなかったというものすごい次元の高いオチですね。
Nihon no Hito / Haruomi Hosono & Ichiko Aoba
「忌野清志郎」、「坂本冬美」と一緒に立ち上げた「HIS」からの一曲。日本の現在という部分と「あまり根を詰めないでね。」といったメッセージに受け取れる優しい歌です。冒頭だけの歌詞からはとてもセンセーショナルなイメージをもってしまいますが、実際はその裏側にある優しさは「細野」さんの作曲によるものだからかもしれません。音の温かさが素晴らしいですね。
TIN PAN ALLEY Peking Duck
「ティンパンアレー」と共に制作したアジアンテイストあふれる楽曲。「マリンバ」の存在が強烈であり、「細野晴臣」フリークである「星野源」さんもこの楽曲類の影響により「マリンバ」を始めたそうです。1976年に3rdアルバムである「泰安洋行」のコンベンションライブを行った「同發新館」で40年ぶりに公演を行った2016年発売の「A Night in Chinatown」の DVDでは「星野源」さんが当時の「細野」さんの格好で登場し、一緒に演奏しているシーンもみることができます。
「細野晴臣」さんのヒストリーはいかがでしたでしょうか。「細野」さんが築き上げた音楽は今もなお、現代音楽の中で生き続けています。齢70にしてこのアクティブさには本当に頭が下がりますね。これからも素晴らしい楽曲を提供していただきたいです。
今日は以上です
⇒【CDプレスとは何かを知ろう】レコ発前に知っておきたい基礎知識
⇒初めてレコ発するバンドのためにレコーディングスタジオの選び方から作業内容を徹底解説します!
⇒CDジャケットの作り方【素人でもプロ並みのCDジャケットを自作】
よっしー(田中義一)
1985年千葉生まれ。バーストのブログを書いている人。デザインも少々。これまで1,000を超えるバンドにデザインを提供してきました。基本サッカー見ながらパソコンいじってる。外出時はパソコンいじれなくてソワソワして落ち着かない。
性格⇒ポジティブだけど打たれ弱い。超リアリスト。
好きなもの⇒ハンバーガー、サッカー観戦、熱帯魚